バニーコネクト






「あ、みょうじ」



移動教室のため廊下を歩く私を、聞き慣れない声が呼び止める。
足を止めて振り向くと、これまた見慣れない顔の男子生徒が、小走りに此方へ駆け寄ってきた。
いや、見たことはある。隣のクラスの子だ。
確か、バレー部の……ええと、名前、なんだっけ。




「……、なあに?」


だめだ。思い出せなかった。
名前は呼ばず、誤魔化すように用件を促す。
幸い、私の微妙な間を気にすることなく、彼は本題を口にした。
と言っても口にしたのは、これ、という一言だけで、主に本題は、差し出された手の中にあったのだけど。



「あ、これ…私の」

彼の大きな手の中で、黒いビーズの目が、ころりと私を見上げる。
それは、丁度昨日失くしてしまった、小さなウサギのストラップだった。
拾ったから、と差し出されて、両手でそれを受ける。
鞄に付けていた筈のビーズのウサギは、紐が切れた状態で私の手の中に帰ってきた。


「拾ってくれたんだ、わざわざありがとう」
「やっぱり、みょうじのだったか」
「うん、昨日無くしちゃって。何処で見つけたの?」
「体育館の前の、外廊下のとこ」
「あー、そんな所で落としちゃってたんだ」


そういえば昨日は、先生に頼まれて資料室に寄ってから帰ったんだっけ。
普段ならそんな所通らないけれど、昨日はショートカットに中庭を突っ切って行ったから、多分その時に落としたんだろう。
どこで無くしたのか分からなかったから、半ば諦めていたけれど……まさか、こんなに早く戻ってくるとは思わなかった。



「これ、気に入ってたから、無くしちゃってへこんでたんだ。本当に、ありがとね」
「あ、ああ…いや、別に…」



気恥ずかしそうに頭を掻きながら、ふいと視線を反らすその顔は、ほんのり赤らんでいた。
お礼言われて照れちゃうとか可愛いな、ええと……あ、そういえば私、彼の名前も知らないんだった。
でも、向こうは私の名前知ってるみたいだけど…みょうじって呼んだし。
まあ、隣のクラスだし、わざわざ届けてくれるくらいだから、顔と名前を知ってても不思議じゃない、かな。





「……あれ?」
「どうした?」


きょとんと首を傾げる彼とストラップを、交互に見やる。
もしかしてどっか壊れてたか?と焦る言葉を聞きながら、少し思案してから、問い掛けた。




「いや……これ、私のだって、よく分かったね?」
「え?」
「名前なんか書いてないし、ていうかそもそも、私達あんまり話した事もないのに…」
「えっ、いや、それは……」



大した面識もない隣のクラスの女子が、鞄に付けてるストラップ。外に落ちてて、分かる?
私は分からないや。
なんとなしにそう思って軽く訊ねたつもりだったのだが、彼は何故か慌てて目を泳がせて、たっぷりと間を取って言った。





「…………た、偶々、知ってた」


……偶々知ってたって、何だ。
前に見掛けたとか?
でもこんな小さなストラップ、覚えてるもんかなあ……もしかして、すっごい記憶力いい、とか?
ぐるぐる考えながら、彼の顔を見上げた。
少しきつめの吊り目が、忙しなく左右に動いている。
なんか落ち着き無さげだけど、頭良さそう(に見える、と思う)だし、そういうどうでもいいことでも覚えてるもんなのかもしれない。
無言で考え込んでいると、先程よりも赤みが増した頬を、彼の大きな手のひらが覆った。
それを合図のように、私はやっと我に返る。



「ええと、そっか。偶々、だよね」
「あ、ああ……」
「ごめんね、変なこと聞いて。それじゃあ私、次、理科室だから」
「…ああ」



最後にそう交わして去ろうとしたけれど、彼のぎこちない表情が少し気になって、何故だか足を踏み出せずにいた。




「……みょうじ?」
「あ、えっと」
「…?」
「……それじゃあ、またね」
「!あ、ああ…また、な」




小さく手を振って、彼の隣をすり抜ける。
その去り際に彼が見せた嬉しそうな笑顔が、なんとなく、目に焼き付いた。















バニーコネクト


(そういえば、結局名前思い出せなかったなあ…)